ウイスキーの歴史

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ウイスキーのルーツ(15世紀以前)

アルコール飲料の歴史

アルコール飲料の歴史は古く、紀元前50世紀頃の新石器時代のイランの壷からワインの残留物が発見されており、醸造酒を含めるお酒の歴史ではこれが最古と言われています。
糖が発酵することで生成されるアルコールは自然界の中にも存在しており、人類は7,000年も前から発酵された果実や樹液などのお酒を飲んでいたようです。

蒸留酒の歴史

蒸留は、熱で蒸発させたアルコール液を冷却し、液体となったものを回収することを指します。蒸留酒の歴史は明らかになっていませんが、紀元前9,000年頃の中国の遺跡からは米や果物を原料にしたと思われる酒の残留物が見つかっています。また、紀元前3,500年頃にはメソポタミア地方でも香料の抽出として使用されていたといわれています。

文献上では紀元前12世紀の中国の史書に蒸留酒についての記述があります。また、西暦200年頃のエジプトには大麦の蒸留酒があったと記録にあり、これがウイスキーのルーツとも言われています。

蒸留技術の歴史

キリスト教の修道僧が香水や薬品の生産するために蒸留技術を世界中に広めたという説があり、12世紀頃には既に蒸留技術が西洋へ入ってきていたようです。
当時の西洋の蒸留酒はワインを原料としており、アルコール濃度が高く、蒸留された液体が燃えることからアクア・アルデンス(燃える水)と呼ばれ、保存が利き簡単に酔えることから広まっていったといわれています。

なお、アイルランドの伝説では、キリスト教伝道師の聖パトリックが紀元5世紀頃に蒸留技術を教えたといわれていますが、記録としては残されていません。

文献での登場

ウイスキーに関する最古の文献は、1172年にイングランドのヘンリー2世がアイルランドに進攻したとき、ウスケボーと呼ばれる大麦から蒸留した酒を飲んでいたと記されています。

スコットランドで最初にウイスキーについての記述があったのは1494年で、子牛の革に書かれたスコットランド王室の財務帳に「ジェームス4世の命令により、修道僧ジョン・コーに8ボル(500kg)の麦芽を与え、アクアヴィテを造らしむ」と記載があり、この「アクアヴィテ」がウイスキーと言われています。

ウイスキーの語源

ウイスキーの語源は、スコットランドやアイルランドの古語であるゲール語のウシュクベーハー(Uisge beatha)と言われています。
先ほど出てきたラテン語のアクアヴィテ(Aquavitae)と同じ”命の水”という意味で、当時アルコールは嗜好品ではなく薬品として用いられていたためこう呼ばれていたそうです。ウイスキーに限らず、ブランデーを指すフランス語のオウ・ド・ヴィー(Eau de Vie)やウォッカ、北欧で地酒を指すアクアヴィット(Aquavit, Akvavit)も同じ語源と言われています。

12世紀にアイルランドを占領したイングランド軍は、ウシュクベーハーがウイシュギ(Uishgi)に聞こえたという記録が残っており、これがUsquebaugh→Usuque→Usky→Whiskyとなったと言われています。

ウイスキーという言葉は、1755年にサミュエル・ジョンソン博士が編纂した英語辞典に記載させたことで一般的になりました。この辞典でウイスキーは「香料とともに出てくる蒸留物」と定義されており、当時は香料などで風味付けがされていたようです。

ちなみに現在のアルファベット綴りですが、日本・スコットランド・カナダでは「WHISKY」が用いられていて、アイルランドでは「WHISKEY」が使用されています。アメリカでは併用されていますが、法律上は「WHISKY」と明記されています。

16~19世紀

年号 事柄
1608年 アイルランド 蒸留免許の記録
英国王ジェームス1世が、北アイルランドのアントリムの領主 サー・トーマス・フィリップスに蒸留免許を与えたという記録が残っています。
1644年 スコットランド ウイスキー税導入
農産加工品として一般的であったウイスキーに法外な税金を課すことにより密造がはじまります。
1707年 スコットランド イングランドに併合
ウイスキーが更に厳しい課税対象となります。
1750年頃 スコットランド ハイランド・クリアランス(Highland Clearance)
~1860年。イングランドによるスコットランド人の強制移住政策として、ハイランドを中心に羊毛産業を拡充させるため、羊の放牧のために今まで住んでいた住民を強制退去させたことにより10万人以上がホームレスとなったといわれています。
土地を奪われた人々はローランドなどの別地域だけでなく、カナダやアメリカ、オーストラリアといった海外へも移住したといわれています。
1757年 アイルランド 蒸留所が相次いで創業
キルベガンに ブルスナ蒸留所、ダブリンにトーマスストリート蒸留所が創業しました。
1776年 アメリカ アメリカ初のウイスキー蒸留所創業
レキシトンに移住したジェームス・ペッパーがウイスキー蒸留所を建設します。
1784年 スコットランド ウォッシュ法(醪法, Wash Act)施行
イングランドとローランド地方のみを対象にした税制で、ハイランド地方の密造を防止することを目的として制定されました。
ハイランドに含まれる州が規定され、境界線を越えてのウイスキーの移動も禁止されたことで、ハイランドとローランドの境界線を「ハイランドライン」として明確にされました。

  • イングランド及びローランド
    • ウイスキーの税率を引き下げ
    • ウォッシュの生産量に対してのみ課税
  • ハイランド
    • 蒸留釜の容量に応じて課税

これによりローランドでのウイスキー生産は急増しましたが、そのほとんどがロンドンへ輸出されてジンに再蒸留されたため、危機感をいだいたロンドンの蒸留業者の働きかけにより1786年法改正され、全スコットランドで蒸溜釜の容量に課税し、スコットランドからイングランドへの輸出には厳しい関税と制限を課すこととなりました。
最終的にこの法律は1816年に廃止となりましたが、ハイランドとローランドを区別する方法は今でも受け継がれています。

1789年 アメリカ バーボンウイスキーの誕生
バプティスト派の聖職者エライジャ・クレイグによってバーボンが誕生します。
1823年 スコットランド ウイスキー税の廃止
ウイスキー製造認可料を導入することで、密造時代は終焉を迎えます。
翌1824年、ザ・グレンリベットが政府公認の蒸留所第1号となります。
1826年 連続式蒸留器の原型が完成
ロバート・スタインによって連続式蒸留器の原型が完成します。その後1831年にイーニアス・カフェが連続式蒸留器の特許を取得し、現在の連続式蒸留器の主流となります。
1846年 スコットランド 穀物法が廃止
安価なトウモロコシが大量に輸入できるようになったことで、ローランドを中心としてグレーンウイスキーの増産が始まる。
1853年 ブレンデッドウイスキーの誕生
アンドリュー・アッシャー (Andrew Usher)がブレンデッドモルトウイスキーを製造。
その後1860年にモルトとグレーンを混合させたブレンデッドウイスキーが誕生します。
1858年~
20世紀初頭
ヨーロッパ全土 害虫被害(フィロキセラ/Phylloxera)によるウイスキーの台頭
ヨーロッパのブドウ畑が壊滅し、ワインやブランデーが枯渇したことによりウイスキーが世界に躍り出ます。

20世紀以降

年号 事柄
1906年 スコットランド ウイスキー論争勃発
ブレンデッドウイスキーの台頭により、モルトウイスキー業者が「モルトウイスキーのみがウイスキーである」との裁判を起こします。30回以上の審理が重ねられた結果、1909年にブレンデッドウイスキーもウイスキーであるということが認められました。
1920年 アメリカ 禁酒法施行
1920年1月17日、アメリカ合衆国でアルコールの製造・販売・輸送が全面的に禁止されます。飲酒自体は禁止されていなかったため、アル・カポネなどのマフィアによる密造者(ブートレガー)や密輸が流行しました。また、闇営業されていた酒場はスピークイージーと呼ばれ、全米で22万軒もあったといわれています。
この法律は高貴なる実験(Noble Experience)と皮肉られ、1933年12月5日に廃止となりました。
1923年 日本 日本初のウイスキー蒸留所稼働
山崎蒸留所が稼働開始。